佐賀県唐津市にある豊臣秀吉による朝鮮出兵の前線基地『名護屋城』とは!?
佐賀県唐津市にある古城『名護屋城』にやってきました!!
ここは、日本の歴史好きには堪らない豊臣秀吉が朝鮮出兵(文禄の役)の為に築いた前線基地とされる城で、朝鮮への出兵時には秀吉の絶大な権力を背景に徳川家康や伊達政宗など戦国時代を生き残った錚錚(そうそう)たる武将達が一堂に会した場所でもあります。
滅んだ主君・織田信長の野望を継ぎ、朝鮮、明(中国)、南蛮(インド)までも支配するという途方もない計画を立てた秀吉という男の痕跡を観てみたいと思います。
▼行き方
江戸時代には既に古城となっていた「名護屋城」エリアは住まれている住人はいるものの、寂れており交通の便が悪いです。
なので、個人的にはレンタカーを借りて、名護屋城・呼子(呼子の朝市/七ツ釜)を観光する事をおススメします。
公共交通機関で行く場合は、JR西唐津駅で下車しそこから呼子方面のバスに乗車し「名護屋城博物館入口」へと行く方法か、同バスで呼子で一旦下車しタクシーを利用(5分程度/約1,000円)して向かう方法があります。
下に、昭和自動車株式会社のHPより抜粋したバスの時刻表を記載します。
昭和自動車株式会社ホームページ http://www.showa-bus.jp/ より抜粋
▼無料の駐車場
前日に佐賀駅前のホテルに宿泊していた僕は、日産レンタカーでマーチを借りて約1時間の旅路を経て「名護屋城」へとやってきました。
観光地にも関わらず無料で駐車できるのは嬉しいです。
▼名護屋城
そして・・・
歴史好きの僕が、
来たくて、来たくて、
でも東京からだと非常に遠くて、
でもコレだけの為に来るにはコストが・・・
と思い続けての念願の「肥前名護屋城」です!!
来たぞ秀吉ーっ!!
やったぞーっと名護屋城内に入ると観光案内所の方から「城の整備の為、ご賛同いただける方は募金をお願いします」と声を掛けられました。
当然、偽善者の僕は「100円」を募金し城内散策に出かけます。
この城は、茶人で有名な千利休が秀吉によって切腹を申しつけられた年と同じ天正十九年(1591)に築城された城です。
つまりこの石垣は、約430年前に築かれたものです。
「えっ、そんな城日本中にいっぱいあるでしょ?」と言う人も居ますが、この城が凄いのは2019年の今日までにも朝鮮(韓国・北朝鮮)に禍根を残している「文禄・慶長の役」の為だけに造られた城という事なんです。
大手口より、徒歩だったか、馬だったか、籠だったか分からないですが、秀吉も歩んだ道を進みます。
この城は、秀吉が亡くなった後に慶長の役が中止され、役目を終え廃城となったと云われております。
そして、江戸時代に起きた「島原の乱」後に一揆勢の立て篭もりを防ぐ目的で石垣も含め要所が破却されてしまっており、現代に入り発掘され整備をされている城内ですが、所々未だに崩れた箇所があります。
こういった点も歴史好きの心をくすぐってくれます。
▼東出丸
道沿い進み最初に出てくるのは「東出丸」と言われる防御砦です。
この砦に未だに残る石垣は、発掘・修復されたものなのか、城の破却後も残り続けたのかは不明ですが、当時を偲ぶ貴重な趣を残しております。
現在の「東出丸」は、展望所にもなっております。
ここからは、呼子大橋までも一望できる大パノラマを堪能する事が出来るのです。
「東出丸」を後にし、本丸に向け順路を進みます。
僕がこの城を訪れたのは、誰もが忙しくする師走の時期だったのですが、
誰もいない静寂の中を歩く古城というのは、寂しくもありますがいいものですね。
いよいよ本丸へと近づいてきました。
整備され歩きやすくなっている個所もありますが、辺鄙な土地のため予算がないのか、基本は草刈りされているだけです。
でも、コンクリートでガチガチに固めたような城よりは断然いいので、他の城もマムシ除けの為の草刈だけに留めて頂きたいですね。
▼本丸
僅かな石垣を残し、何もない本丸エリアに出てきました。
この城は秀吉が亡くなり朝鮮半島から撤退後に廃城となったと前述しましたが、城にあった建造物群は肥前唐津藩の初代藩主となった元秀吉の家臣であった寺沢広高によって唐津城に移築されたと云われております。
▼旧石垣
この天守エリアに来て最も興味を惹かれたのが、もとは松浦党の居城であったこの地を秀吉が「名護屋城」へと巨大な城へと築いてから、秀吉が亡くなって廃城へとなるまでに数度の大規模な増築工事が行われていたという事です。
写真は、最も最初に築かれた石垣で発掘調査された事によってその事が明らかになったそうです。
朝鮮出兵といった一大イベントでも文献に残っていない事があったと思うと、歴史って面白いですね。
▼新石垣
また、上の写真は最後に増築された後に築かれた「本丸新石垣露台」の跡です。
案内板によると、本丸の拡張に伴って新たに造られた櫓の跡で櫓の周囲の通路部分には玉石も敷かれていたが、当時の玉石を保護するために埋め戻し、その上に復元した状態で整備を行ったそうです。
ここに来て、本丸エリアの真ん中には「わかっとるわ!」とツッコミたくなる
一本の「名護屋城址」と刻まれた石柱が立っております。
せめてココに石柱を置くなら「本丸跡」と刻んだものにすべきだと・・・
▼天守閣
本丸エリアの北西隅には、5重7階の天守が築かれていたと伝わる「天守閣址」があります。
破却された城ですので、こちらにも何も残っておりませんが、
秀吉も眺めたであろうパノラマ風景を堪能する事が出来ます。
アングル変えればよかったんですが、さっきと同じパノラマ風景です。(すいません)
海とは反対側の陸側を見ると、麓から続く城郭のパノラマ風景が見えます。
何もない天守閣跡地には、明治から昭和にかけて活躍した俳人・青木月斗が名護屋城を訪れた際に詠んだ句『太閤が 睨みし海の 霞かな』と刻まれた石碑が置かれておりました。
▼遊撃丸
天守から下を見ると「遊撃丸」が見えます。
この遊撃丸という名前は、一度目の文禄の役の講和使節として来日した明国の遊撃将軍・沈維敬を迎える為の宿舎が置かれた事から付けられたと云います。
天守エリアを後にして、城内をぐるっと半周しに歩を進めます。
半周でも十分に広い城内は、ちゃんと観ようとすると丸一日かかりそうなぐらい広いです。
所々崩れている石垣は、破却されたものなのか、自然に崩壊したものか不明ですが、このままなのが歴史を感じます。
▼伝・馬場
場内を歩いていると一本の真っすぐな場所に出てきました。
ここは、恐らく馬場(馬の練習をする所)だったであろうと伝われる場所です。
これだけの城を天正十九年(1591)8月に工事を命じてから僅か8ヶ月後の文禄元年(1592年)3月に完成させた突貫工事と伝わります。
出来た当時は突貫工事すぎて思った以上に小さかったのか、前述のとおり、その後にも増築も行われていますが、それを人力だけで成せた秀吉の権力は絶大なものだという事がわかりますね。
石垣の一つ一つを見ると当時の石切跡が今なお残っており、こんなのも見るのが僕は好きです。
この城はが建てられた当時は、秀吉が日本を統治する為に建てた大坂城に次ぐ規模の広大な城郭であったと云います。
▼水手曲輪
この名護屋城には、総計約30万人が在陣したと云われております。
今もですが片田舎のこの地には、それだけの人間に水を供給出来る水源(井戸)が足りなく、水不足から起こる小競り合いが頻発したと記録に残されております。
その為、この『水手曲輪』に貯水池を造って雨水を貯め、使用していたと云われております。
▼水手口
「大手口」の対角線上にある『水手口』に出てきました。
「名護屋城」をぐるっと走る国道204号線を歩き、道路から見える城を見てみます。
▼上山里丸
この写真の入り口は、豊臣秀吉のプライベート空間であったという「上山里丸」へと続く『上山里口』といいます。
蛇を極度に怖がる僕は「平日の今日は、この石段を誰も歩いてないだろう、つまりマムシが出るんじゃないかなぁ・・・」とビビりながら石段を進みます。
「山里口」の石段を進んだ先には、『広沢寺』があります。
朝鮮出兵の為に名護屋に赴いた秀吉が松浦一の美女と云われた名護屋越前守の妹・広子を側室に迎え城の一角であるこの場所に住まわせました。
そして、寵愛する広子の為に、この『広沢寺』を慶長二年(1597)に建立したつ伝わります。
秀吉の菩提も祀られる「広沢寺」を参拝後、国道に戻り歩みを進めます。
▼下山里丸跡
整備が施され、見ごたえのある「下山里丸口」は、一見の価値があります。
でも、道路を歩いて来いないと行けない為、くれぐれも気を付けて下さい。
※運転者も、まさかこんな田舎を歩いている人がいると思ってないと思うので・・
▼さいごに
以上で、佐賀県唐津市にある豊臣秀吉による朝鮮出兵の前線基地『名護屋城』のご案内となります。
世界征服を夢見た権力者・秀吉を偲ぶ趣のある城となっておりました。
皆様も訪れてみては如何でしょうか。
ご精読ありがとうございました。
▼アクセス
住所:〒847-0401 佐賀県唐津市鎮西町名護屋1931−3
▼最寄りの旅館
旅館 金丸
呼子港の真中に位置し、呼子朝市へ徒歩5分。イカの活造をはじめ、玄界灘の海の幸をお楽しみ下さい
847-0303
佐賀県唐津市呼子町呼子3068
やろうかなぁ?やめとこうかなぁ??と悩んだら ”犯罪や人に迷惑をかける事以外、全力でやってみて下さい。”の恩師の言葉を、元にとりあえず何でもやってみる、趣味は、旅行・骨董品収集のいくちゃと申します。(最近は、ドローンも楽しいです。)
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